まなび場ブログ

若い人たちとの対話

「聞いても、答えてくれない」

 「(思春期の)子どもに何を考えているか聞いても、答えてくれない」という声に対して、同じ親の立場から、「子どもが答えてくれないのは、子どものために聞いているようでいて、自分(親)が安心するために聞いているからじゃないかな」という人がいた。そういえば、僕も、子どもが思春期の頃、そういうことがあった。子どもが考え込んでいるのが気になるのだが、聞いても話してくれない。気になるから、こちらも引き下がれない。だんだんと、子どものためというより、僕自分の気持ちの整理がつかないから、聞いているようになっていく。子どもは自分を守ろうとして、ますます黙り込んでしまう。

 

 子どもは、「どうして?」という問いに身構えてしまうこともある。理由を聞く背後に、普通はそうでないという思いが隠されていることがあるからだ。例えば、「どうして学校に行けないの?」という問いの背後には、普通は行けるはずなのに、という思いがないだろうか。問い詰めるような聞き方ではなく、優しく中立的に聞いているつもりでも、子どもは言葉の背後にある否定的なものを敏感に察知する。それに、大人から聞かれても、うまく言葉で説明できないこともある。ちゃんと説明できないこと自体が負い目になる。

 

 子どもに聞いても、答えが返ってくるとは限らない。聞くことで、なんだか気まずい空気になることだってある。そういう予感から、僕たち大人が本当はちゃんと聞くべきことを聞かずに済ましてしまうこともある。しかし、聞くこと・聞かれることは、相手や自分自身を理解していく上で大切だ。子どもに聞いてみなければ大人には分からないこともあるし、子どもにとっては、大人から聞かれることは自分を見つめ直すきっかけにもなる。聞きたいことに今すぐは答えが期待できそうにないのなら、まずは、子どもが話したいことを聞くのがいいように思う。

 

 大人が普通と思っている枠内に子どもがおさまっている間は安心してあまり聞かなかったのに、枠からはずれると、はじめて気になって、自分が納得できる説明を得ようとする。こういうふうでは、うまくいかないのだろう。子どもは僕たちとは全く異なる世界を持っている。その人はどんなことに生き生きとするのか、何を感じ何を考えているか、どんな体験をしているか、どんな個性を持っているか。僕たちの見方を脇に置いて、“その人”から見えている世界を分かろうとできたときに、対話のいとぐちが見えてくるのではないか。