まなび場ブログ

若い人たちとの対話

「好きが60%以上ないと」

 やりたいことをやっているとき、人は生き生きとしている。

 嫌だなあと思いながら、やらないといけないからやっていると、なんだか元気が出ない。僕も、明るい気持ちになれないときがあって、自分は本当は何がやりたかったのか、思い返してみた。そして、やりたいことがあって始めたことなのに、それが、やらないといけないことになりかけていなかったかと、反省した。自分がやりたいと思ってやっていると、エネルギーも湧いてくるし、思考も活性化するし、人といい刺激を与え合うこともできる。やっぱり、自分の気持ちにそってやらないと、形だけになってしまって、成果も出ないし、ただ、疲れてしまう。

 ある中学生と話したのだが、「もう、これからは、自分が好きなことだけやっていこうと思いました」と言う。その人は、ただただ我慢し続けるという状況に疲れ切って前向きの気持ちを持てずにいたように僕には見えていたのだが、新しい学年が始まったのを機に、気持ちを切り替えられたようだった。「好きなことをやっていくために我慢しなければならないこともあるけどね」と僕が言うと、「そうですね。だとしても、好きが60%以上ないと」と言う。60%!全く同じことを僕も考えたことがあるのだ。昔教員をやっていたとき、つまらない校則で縛るとか、受験勉強を教えるとか、あまりやりたくないこともあったけれど、子どもに教えたり子どもと関わったりすること自体は楽しく、やりたいと思えることだった。仕事の60%以上は好きなことだったといえる。やりたいが60%で我慢が40%の仕事はやれる。でも、その比率がだんだんと逆転して我慢60%と感じるようになったとき、このままずるずる続けるべきではないと考えた。

 学校に行くことは義務ではなくて権利、などといわれる。さて、子ども本人は、学校は行かないといけないと思っているのか、自分がやりたいことをやるために行くと思っているのか。学校であれ、学校外の居場所であれ、自分がやりたいことをやるためにそこに行きたいと子どもが思える場でなくては、と思う。