まなび場ブログ

若い人たちとの対話

「子どものため」

 親から意見されるとき「あなたのために言っている」と言われるのが嫌、という話を聞くことがある。押し付けがましく感じるのだろう。親と子どもとは別の人間なのだから、親が「あなたのため」と思っていても、子どもにはそう感じられないことだってある。親の方では、子どもにはその時そう感じられなくても、長い目で見るとそれが「あなたのため」と考えているかもしれない。ここは、どちらかが意見を押し付けるのではなく、何が本人のためになるのか、一緒に考えるしかない。でも、「あなたのため」という言葉は、時として、「あなたのために言っているのだから、あなたは聞かなければならない」と子どもの反論を封じる言葉として使われる。だから、嫌がられるのだろう。

 

 あるいは、子どもはもっと違うことも感じているかもしれない。かつて勤めていた高校で、生徒を過剰に追い立てる指導をする教師が「生徒のためにやっています!」と主張するのを聞いて、「生徒のため、カッコ、ジブンノタメ、だな」と苦笑していた同僚がいた。どんなことであれ、自分からやっている以上、「自分のため」でもあるといえる。誰でも、自分が納得したい、自分が居心地良くありたい、あるいは、自分の評価が気になる、といった「自分のため」の気持ちもある(それがどの程度かは、人によって大きく違うだろうが)。大人がそういう「自分のため」にきちんと目を向けていないとき、敏感な子どもは「カッコ、ジブンノタメ、でしょ」と思うのではないか。

 

 本当は、とりたてて「子どものため」なとど考えず、「自分がそうしたいから自然にやっているだけ」のことが子どものためになっている、というのが一番いいような気もする。親が赤ん坊をあやすときがそうだろうし、動物だって、家族や仲間のために行動するように見えるけれど、別に誰かのためなどと考えてはおらず、自然に相手に気持ちを向けているだけだろう。とはいえ、僕たち人間には、「誰かのため」を意識的に考えなければ、つい自分のために行動してしまう面もあるし、思い込みから、ずれたことをやってしまうこともある。だから、何が「子どものため」になるかを考えることが求められる。

 

 大人が子どもに何かを求めるとき、それは本当に「子どものため」なのか、大人の側の「カッコ、ジブンノタメ」が隠されていないか、まず僕たち大人が自分の動機を吟味するよう心がけたい。そのようにして、何が・どうして・どのように「子どものため」なのかを丁寧に考えたことであれば、子どもにもちゃんと伝わるように思う。