まなび場ブログ

若い人たちとの対話

“中和してくれる人”

 ある高校生が語ってくれた話。

 「球技大会で、サッカーに出たんだけど。ゴール前で、わざとキーパーのまん前にボールを蹴ってしまった。勝ちたいという気持ちもあったんだけど、そうしちゃったんだよね。球技大会のゴールキーパーって、サッカーうまくない子がやらされていて、それまでも点を入れられて、みんなからワーワー責められてたから。最後にPKになったんだけど、それも、わざとポストに当てた」

 チームのみんなが「勝ちたい」という気持ちでまとまっていた時に、彼は人の心配をしていたのだ。キーパーの子も、彼がわざとゴールを外したことに気づかなかったかもしれないが、彼がいたおかげで苦痛な時間がちょっぴりラクになったのではないか。

 

 こんな話をしてくれた人もいる。

 「悩みをいろんな人に相談してみたんだけど、みんな『そうだよね』『つらかったね』『わかるよ』って似たような反応をする。いくら話しても気持ちが重いままだったんだけど、『気にしてんじゃないぞ!』って笑ってバーンと肩をたたいてくれた子がいた。それで、気が楽になった。」

 深刻に受け止めてくれる人も大切だが、みんながみんなそうである必要はない。軽く受け流してくれる人もいて、ちょうどよいのだろう。

 

 いろんな子ども達が同じ空間に集まって一緒に時間を過ごしていると、様々なトラブルや衝突が生じる。自己中心的な言動を繰り返してしまった子が周りの子達から批判される、といったこともよく見かける。それはそれで良いことなのだが、全員から責められるだけだと、自分を守ろうとして人の批判を素直に聞けなくなる場合もある。そんな空気になりかかったときに、「〇〇君も、みんなに言いたいことあるんじゃないの?」などと、批判を受けている子に助け舟を出す子が出てくる。すると、それまで不満げな表情だった子が「えっと…。ないです。」と素直に言う。自分のことを考えてくれる人がいることで、自分を振り返る余裕が持てたのだろう。

 

 みんなが同じような方向に塗り固められているとき、ふっとそれに逆らった方向の言動をする人がいる。そのことで、誰かがほっと息がつける。人が集まる場では、こういうことが時々生じる。…こんなことを話し合っていたら、ある若者が、「場を中和してくれる人、ですね」と言う。確かに。試験管に液体を一滴垂らしたら色がさっと変わるように、たった一人のひとつの言動が場の空気を中和することもあるのだ。どんな集団でも、場を中和する役回りを誰かが担うことで、なんとか回っているような気がする。

 ゴールをわざと外した高校生の話に戻ると、彼自身は、相手のことを考えて自分の行動を抑制してしまうという自分のあり方に葛藤をかかえていた。学校生活の居心地が悪かったのだろう、彼は通っていた高校をやめた。多数派に同調しない感性を持った人が集団からはじき出されてしまうのは、集団にとっても損失だと思う。