まなび場ブログ

若い人たちとの対話

子ども同士の関係が持つ力

 ゲームを一旦やり始めると、話し合いの時間(ゲームは切る約束になっている)になっても、まわりの子からやめるよう言われても、やめようとしない子がいた。みんなから言われ続けて最後には渋々ゲームを切るのだが、次の日もまた同じことを繰り返す。そういうことを繰り返しているうちに、変化が生じてきた。といっても、それは当人にではない。やはりゲームが大好きで、ゲーム時間についての約束事を守ことが難しい別の子がいたのだが、その子が時間になったらさっさとゲームを切るようになっただけでなく、やめようとしない子に「いい加減やめなよ」と声をかけるようになったのだった。

 

 人から注意されたとき、それを素直に受け止めにくいことは誰にでもある。とっさに自分を守ろうとする気持ち、あるいは相手への反発が生じてしまって、自分を振り返ることを妨げる。でも、自分と同じような行動をしている人が近くにいると、その行動が外からどう見えるかがよく分かる。そして、自分の行動も同じだと気づく。こういうところにも、子ども達が集まって一緒に過ごすことの意味がある。

 

 こんなこともあった。みんなで遊んでいるときに、いつもルール違反やズルをする子がいた。注意しても聞く耳を持たないので、まわりの子達はだんだんと一緒に遊ぶことを嫌がるようになっていった。その子への個人攻撃のようになりかけたとき、「お前の態度はいかん。本当になんとかしろ」と当人を叱った上で、まわりの子達に向かって「お前らももっと違う言い方があるだろ!」と、たしなめた子がいた。まわりの子たちもハッとした様子だったし、みんなから注意されても知らんぷりだった子も真剣な表情になった。言葉が抵抗なくみんなにすっと入ったのは、これを言ったのが大人ではなく自分たちの仲間であったからだろう。

 

 子どもは、子ども同士で刺激を受けたり揉まれたりして育っていく。でも、子ども達の関係が持つ力を信用できず、子ども同士の間で批判しあったり調整しあったりする動きが出る前に大人が口出ししていることも多い。子ども達もそれに慣れっこになってしまい、例えば学校の中などでは注意する役割は教師に任せようとするような傾向もあるのではないか。これでは、子ども達の中で問題を解決していく力が育っていかない。勉強でも同じことが言える。子ども同士で聞きあったり一緒に考えたりする暇も与えず大人がどんどん教え込み過ぎていないか。

 大人が介入したり教えたりすべきこともあるし、子ども同士の関係に任せておいた方がいいこともある。子どもの様子を見ながら、その境目を探り続けることが大切なのだと思う。