まなび場ブログ

若い人たちとの対話

「手を挙げるようにしたら、成績が下がった」

 ある中学生が、小学生の頃のことを話してくれた。

「テストの点が良かったのに成績が良くなかった。宿題も出してたし、なんでかなあ、って分からなかった。授業中に全然手を挙げなかったからだって、あとから気づいた」

「みんなが手を挙げているとき、僕は一人でノートをまとめたり教科書を見たりしていた」

「で、手を挙げるようにしたら、ノートがきちんとまとめられないようになって、今度はテストの点数が下がっちゃった」

 

 挙手の回数が成績に影響するなんてこと自体は、おかしな話だ。手を挙げる人と、よく考えている人が同じとは限らない。僕自身、小学校の時、「この本読んだことある人」という先生の問いかけに多くの子が手を挙げたので、つい見栄を張ってハイっと手を挙げたら、「幸君、どんな本か紹介して」と指名されてしまったことがあった。読んだことがない本だったので、「…忘れました」と言うと、クラスメイトのYちゃんがすかさず立ち上がって「はいっ。読みました。でも、…忘れました!」と僕のマネをして笑いをとっていたことを思い出す。

 

 挙手ではないのだが、生徒の表面的な態度に教師の意識が向いてしまうということについては、僕自身も思い当たることがある。授業をしていると、反応を素早く返してくる生徒がいるものだ。教師の問いかけにすぐ声を出して答えたり、疑問点があると質問したり、納得できるとうなずいたり、冗談を言うと笑ったり、わかりやすく応答してくれる生徒達だ。そういう応答性の良い数名の生徒がいい反応をしていると、授業はうまくいっているような感覚になる。関心を持てずボンヤリしている生徒、あるいは逆に、深く考えこんで黙っている生徒のことまで意識がまわりにくいことがある。

 

 思ったことをすっと言葉にできるというのは一つの能力で、そういう人が集団を活性化させてくれることがある。一方、咄嗟に言葉にするのは苦手という人の話をじっくり聞いてみると、頭の中で熟成させていたのだろう、僕たちがハッとさせられるようなことをボソリと言ったりすることがある。反応が素早い人、ゆっくりな人、それぞれに良さがあるし、味もある。どちらの方が優れているという話ではない。でも、素早い反応ができる人が作り出す空気に教師もとらわれてしまうことがあるし、子ども達の間でも、お笑い芸人のように気の利いた返しができる人ばかりがまわりから評価される風潮がないだろうか。そして、そういう雰囲気を居心地悪く感じている子ども達もいる。

 

 みんなで一緒に考えているとき、反応のテンポの良さにみんなが乗っかってしまうと、本当は分かっていないのに分かったような気になって話が進んでしまう。まわりのテンポに乗らず、なんか分からないなあと思っている人がいることで、話が表面的に流されることにブレーキがかかる。自分のペースでゆっくり考えている人をせかす必要はない。むしろ、その人がどんなことを考えているのか、まわりがその人の内面にきちんと関心を向けることが求められているのだと思う。