まなび場ブログ

若い人たちとの対話

「やればできる」?

「『やればできる』って言ってくる人いるけど、やってもできないんですけど」

「あの言葉、ホントに意味わからん」

中学生達がこんな会話をしていた。うーん。

 

 僕も、「やればできるのに」と思うことはある。それは、子どもに数学を教えてみて、その人がきちんと理解できるという手応えを僕は感じるんだが、本人は「どうせやってもできない」と思い込んでいるようなときだ。ただ、「やればできる」と伝えれば本人はやる気を出すかといえば、そんなに単純なことではないだろう。

 

 「やってもできない」と思っている人は、教えられて理解できたとしても、そこに、「なるほど!」とか、「わかった!」といった心の動きがともなっていないのではないか。だから、「できる」という実感がわかない。そんな無味乾燥なことには気持ちも入らない。結局、できるようにならない。

 

 漢字や英単語を覚えるのに、10回書いて覚えられなければ20回、それでもダメなら30回書けば覚えられるだろうと言う人がいる。本当だろうか。少ない回数で覚えられる人はそこに強い関心を持って気持ちを集中しているのだ。回数のことだけでなく、どうやってそこに意識を向けるのかを考えるべきだし、本人が関心を持てないのであれば、では何になら関心を持てるのかを考える方がいいかもしれない。

 

 「勉強しなくちゃいけないことは分かってるんだけど、やる気がおきない」といった言葉も子ども達からよく聞かされる。「なぜ勉強しなくちゃいけないの?」と聞き返してみると、「学歴がないと困る」「みんながやっているから」「常識がないと社会に出て恥をかく」「生活に役立つことがある」などと言う。そういう理屈を考えて頑張る人もいるし、そんな理屈ではやる気になれない人もいる。いずれにせよ、「分かっていくのが楽しい」「興味がある」「疑問を解決したい」「考えてみたい」「自分の世界を広げたい」といった気持ちが育っていかなければ、やる気を持続することは難しいだろう。

 

 「やればできる」という言葉は、「やる」→「できる」といった目に見える形のことを述べているだけで、どのような意識や態度でやるのかということついては何も語っていない。人間は、外から何かを機械的に詰め込んでいける入れ物のようなものではなく、自分の関心にしたがって学んでいく。「やればできる」というより、「やる気になればできる」ということだろう。はじめはその気がなくても、やっているうちに自然に関心がわいてくることもある。でも、やり続けても心が全くついてこないことについては、一度立ち止まって、どうすれば関心が持てるのか、あるいは、それはその人にとって今本当にやる必要があることなのか、大人と子どもが一緒に考えてみることが求められる。