まなび場ブログ

若い人たちとの対話

「自分の考えを言葉にする経験が積めない」

 「自分の考えを言葉にするのが難しい」と言う若者と、話す経験を積んでいくことが大切だね、という話をしていた。すると別の若者が、「なんでも素直に大人がやりなさいっていう通りにしている子は、自分の考えを言葉にする経験が積めないと思う」と言う。確かに、大人が先回りしてレールを敷くことで、子ども自身が考えたり主張したりせずに済んでしまっていることは多い。

 

 大人はよく、子どもに”○○させる”と言う。勉強させる、練習させる、我慢させる、ルールを守らせる、等々。子どもはまだ自分が何をやるべきか考える力がないから、大人に言われたことをやるものだという発想があるのだろう。子どもに考えさせることが大切と言われるときも(“子どもに考えさせる”ではなく、“子どもが考える”の方がいい表現だと思うが、それはさておき)、何をやるかをゼロから考えるという意味ではなく、大人が方向づけした枠内でどうやるかを工夫するというほどの意味で言われているだけだったりする。何をやるべきかを自分で考える力をつけることは、教育の大切な課題なのに。

 

 大人が決めなければ、子どもは自分で考える場合もあるし、自分で考えず周囲に流されるだけの場合もあるだろう。子どもが考えるかどうかは、周りにどんな刺激があるか、どんな人達がいるか、大人がどんな関わり方をしているか、といったことにも大きく左右される。大人には、子どもに刺激を与えたり、環境を整えたり、子どもと一緒に考える等の役割がある。

 

  子どもが自分で考えて行動しているようにみえても、大人の期待に沿った行動をとっているだけのこともある。僕も、若い頃は自分の価値観や生き方は自分で選んだと思い込んでいたけれど、大人になるにつれて、親の考え方や期待の影響を受けていたことに気づくようになった。自分の考えの根拠をきちんと見つめることが大切だし、そのためには、考えを言葉にする作業が必要だ。

 

 考えを言葉にすることを求めて、僕達は子どもに問いかける。でも、問われることにいいイメージを持っていない人も多い。それは、教育の場での“問い”が、答えられるか試すためのものだったり、正解に誘導するためのものだったり、あるいは、「どうしてできないの?」と相手を問い詰めるのだったりすることが多いからかもしれない。問われたので深く考えたという体験を子どもには積んで欲しいし、そのような問いかけを心がけたい。