まなび場ブログ

若い人たちとの対話

すぐに反応が返ってくる

 ゲームが趣味という若者に、ゲームの魅力について聞いたことがある。

「ゲームは、自分がやったことに対して、必ず、すぐに反応が返ってくる。日常生活の中では、そんなことはないですからね」と彼はいう。

 なるほど、この説明はよく分かる。それにしても、現実生活の中ですぐに反応が返ってこないとはどういうことか、考えさせられる。子どもが、手応えを実感しにくいことばかりやらされているのか。また、僕たち大人が子どもに適切な反応を返せていないのか。

 

 一方で、はっきりした反応がすぐ返ってこなくても楽しめることもあるのでは、とも思う。誰だって、小さいときには、ただ無心に絵を描いたり体を動かしたりしていたのではないか。じっくり時間をかける中でこそ実感できる手応えというものもある。

 

 最近は、分からないことも、スマホやパソコンですぐに検索でき、ピンポイントで答えが見つかる。これは、僕も重宝している。ただ、断片的知識を手に入れること自体は、すごく楽しいというものでもない。「あ、面白い!」と強く感じたりワクワクしたりするのは、バラバラだったりモヤモヤしていたことの中から、つながりが見えたときだったりする。体系的に書かれた本を読んだり、時間をかけて考えたり、人とああでもないこうでもないと議論したりしてこそ、こういう面白さを体験できる。

 

 時間をかけるということで、話が飛ぶのだが、思い出すことがある。私立中学で教員をしていたとき、修学旅行の行き先が北海道だった。生徒達と一緒に飛行機に乗って、1時間半ほどで北海道に着いてしまったとき、これでは子ども達が可哀想ではないかと思った。僕は、大学生の夏休み、名古屋から長時間列車を乗り継いで北海道まで旅をしたことがある。高校生の時にラーメン屋に貼ってあったポプラ並木の写真を見てから、北海道に絶対行こうと思っていたのだ。そして、夜、青函連絡船で真っ暗な海を渡ってはじめて北海道にたどり着いた時、遠いところにはるばる来たという感慨があった…。こんなふうに飛行機であっという間に着いてしまったのでは、遠くの地にやってきた感覚を味わうことができないじゃないか。

 

 反応が早いゲームの面白さだけでなく、パッと反応が返ってこないことの中にある面白さも、子ども達にはもっと知って欲しい。それを伝えることも、僕たち大人の責任だろう。そして、こういうことを子どもと一緒に考えていくという作業自体が、ここで書いてきた通り、時間がかかり、そして、面白いことなのだ。