まなび場ブログ

若い人たちとの対話

「手軽な成功体験」

 ゲームの魅力について意見を聞いてみたら、それなりにゲームと親しんできた若者がこんなことを話してくれた。

 「ゲームは、手軽で確実に成功体験が得られますからね。現実だったら、A、B、…Zと手順を踏んでいかないと得られないものが、ゲームの中では、簡略に達成できる。達成するためのノウハウも覚えやすい。こうすれば、こうなるって。それに、目標も見えやすいし」。以前、ゲームをやりこんでいる別の若者が「ゲームは自分がやったことに対して必ずすぐに反応が返ってくる。日常生活ではそんなことないですから」と言っていたのだが、それとぴったり重なる。

 

 彼らの非常に的確な説明を聞いて、ゲームの面白さは分かる気がした。同時に、ゲームの外の現実について、考えさせられた。この二人とも、現実ではゲームのように簡単には達成感や手応えが得られないと感じている。僕が最初に感じたことは、子どもが何かに取り組んでいるときに、僕たち大人がきちんと反応を返せていないのかもしれない、ということだ。子どもが取り組んでいることに大人が関心を持って反応を返すことで、子どもは手応えを感じられる。現実生活の中で、そこがなかなかうまく行っていないのかもしれない、と。

 

 でも、よく考えると、現実世界はそんなものだろうとも思える。現実は、もっと複雑で奥行きがある。僕たちがやることに、誰かが反応を返すとは限らないし、何か目に見える成果がついてくるとも限らない。それでも、関心あることであれば、自分なりに工夫してあれこれやってみる時間は楽しい。外からの反応にも励まされるけれど、それがなければ続けられないということもない。大人は、関心を持って子どもを見守ることが大切だが、子どもの自主性が育つにつれて、一つ一つに反応を返すような付き合い方ではなくなっていくのが自然だろう。

 

 いや、本当に現実はゲームとは違うだろうか。ゲーム的なあり方は現実の中に広く浸透しているのではないか。例えば、学校の勉強では、頻繁に褒めたりテストで評価したり、可能な限り隙間なく反応を返そうとする。教室でのPC端末の使い方によっては、この傾向はさらに強まるだろう。美術や工作でも、ゼロから試行錯誤しながらつくるのではなく、限られた時間の中で完成できるキットを使うことが増えているという話も聞く。キットを使えば、うまくできない心配はなく、“手軽で確実な成功体験”が保証されるというわけだ。

 

 困難な課題を単純な作業に分割して、手短に達成感を味わえるようにする。こういう工夫は、子どものやる気を引き出す上で一定の効果がある。僕も、数学が苦手な生徒のために、穴埋めのプリント教材を作ってみたことがある。面白いことに、問題が書いてあるだけだと考えようともしない生徒が、穴埋め問題だと一生懸命取り組み出す。「人間には、空欄を埋めようとする習性があるんですよ」と同僚の教師も笑っていた。でも、これは、誘導されているだけなので、こんなことばかりやっていても、生き生きとした気持ちは湧いてこないし、自分の頭で考える力は育たない。

 

 ある若者は「ゲームは熱中できる。ただ、人が作った世界で熱中させられていると思うと、なんだかね」と言っていた。ゲームは娯楽なのだから、その世界の中にうまく誘導してもらって楽しい時間を過ごせるなら、それでいいのかもしれない。しかも、個々の操作まで誘導されるわけではなく、ゲームの世界の中ではプレイヤーの自由度が高い(だからこそ、ゲームは面白いのだろう)。しかし、教育では、達成感を与えたり褒めたりして誘導していくとき、子どもの自由度(遊び)はきわめて狭くなりがちだ。

 

 何をやりたいか自分の気持ちを見つめたり、自分なりのやり方を探したり、遠回りや無駄や失敗を体験したり、そういう時間が日常の中で削ぎ落とされてはいないか。目に見える成功体験や反応がすぐには得られなくても、何かに取り組む過程を楽しめる、そういう時間を共有していきたい。