まなび場ブログ

若い人たちとの対話

はっきり言う

 いつも、相手のことにお構いなく自分の関心事だけを一方的にしゃべる子がいた。
話し合いの時間に、この子が「うまく人と接するにはどうすればいい?同年代との付き合いが難しい」と切り出した。すると、別の子がすかさず、「あんたは自分の話を聞いて欲しいだけでしょ。大人は聞いてくれるだろうけど。僕らにそれを求めても…」と応じた。自分の問題を指摘されて、この子は「むかつくな!」と言い返したのだが、何か考えこむような表情をしていた。

 相手の立場にたって考えることが苦手な子どもに対して、面倒臭いので関わらないという子もいるし、きつく非難する子もいる。他方で、話を“聞いてあげる”という大人の態度をとる子もいる。でも、このように、問題をずばりと指摘をしてくれる子はあまりいない。このときのやり取りを見ていて、オブラートに包まずはっきりと言った言葉は、ちゃんと相手に伝わるとあらためて感じた。(言ったのが大人ではなく、対等の立場の子どもだったことにも意味がある。)

 海外(たしか、カナダだったと思うが)の子育てを視察してきた人から、こんな話を聞いたことがある。公園で、幼児が自分のオモチャで遊んでいる。他の子がそれで遊びたがって、オモチャの引っ張り合いになった。オモチャの持ち主の母親がどうしたかというと、自分の子どものところに行って、「相手にはっきりNOと言いなさい」と幼児を諭したのだという。「仲良く一緒に遊びなさい」などとは言わないのだ。自分の思いをきちんと主張できるようになることがまずは大切であり、人に気を配るのは、その次の課題と考えられているのだろう。

 自分が本当に思っていることを遠慮せずに言う。ここからしか、相互理解は始まらない。でも、こういう基本的なことが僕たちにはなかなか難しいときがある。波風が立つことを恐れて言えないということもあるが、それだけではない。自分が何を感じているかを自分の言葉で表現するという“訓練”が不足しているので、自分が漠然と感じていることをうまく言葉にできなかったり、そもそも自分が何を感じているかに鈍感になっていることもあると思う。

 子ども達は、我慢や協調性の大切さは教えられているが、自分の本当の気持ちを自分の言葉で言うということの大切さをどれだけ教えられているだろうか。自分自身の気持ちを言っていいというと、子どもは自分勝手なことを言いいだすのではと心配する人もいるだろう。ならば、言われた相手も自分が本当に思うことを自分の言葉ではっきりと言えばよい。それぞれが本当に思っていることを擦り合わせて行く中で、互いを、そして自分自身を、少しずつ理解していくしかない。