まなび場ブログ

若い人たちとの対話

“言うことを聞かせる”

 高校教員だった頃、「教師の話をしっかり聞かせるためには、生徒といい関係を作っておくことが大切」と言う同僚がいた。それは何か違うのでは、と僕は思った。教師に従わせるための手段として生徒との人間関係を見ているような言い方に、引っかかったのだ。

 「子どもが小さい時にいい親子関係を築いておかないと、反抗期に大変になる」という意見を聞くことがあるのだが、これに対しても似たことを感じる。いい親子関係は、それ自体がかけがえないものであり、親の言うことを聞かせるための手段ではない。

 

 大人の言うことを子どもにちゃんと聞かせることが教育だと考えている人が多いかもしれない。ちゃんと聞かせるために、子どもを管理するという考え方がある。一方、子どもと良好な関係を作っておけば、子どもは聞いてくれるという考え方もある。この二つは、一見、正反対のようだが、大人に従わせようとしている点は共通している。

 でも、本当に大切なことは子どもが自分の頭で考えることだし、そうなっていく過程では大人とぶつかることだってある。

 

 子どもが自分で考えることを励ましていくことは、子どもに何かを教え込むことより、はるかに難しい。何がきっかけで考え始めるかは人それぞれだろうが、ただ、こんなことは言える。僕が分かりきったつもりになって話したときよりも、あらためて本当にそうなのかを考えつつ話したとき、あるいは、僕にもよく分からないと思って考え込んでいるようなときの方が、子どもは考える姿を見せてくれるということだ。人は、相手が考える姿に刺激されるのだろう。子どもが何かを考え始めたら、その考えをきちんと聞くことで、子どもはさらに深く考えていく。

 

 僕たち大人には、子どもが素直に言うことを聞いてくれるような関係に居心地の良さを感じる面もある。それ自体は自然な感情だとしても、子どもに素直さを求めるのは子どものためというよりは大人の側が居心地良さを求めているのかもしれないと自覚しておくことは大切だろう。子どもと大人との関係はいつでも居心地良いものとは限らないけれど、それでも僕たち大人は子どもとかかわる責任があるし、そういう関わりの中で僕たちは多く学ばされもする。

 

 はじめの話にもどる。話を聞かせるためにいい関係を作っておくというよりは、僕たち自身が自分の頭で考え、それを自分の言葉で伝える努力を続けることで、結果として“いい関係”ができていくのではないか。ここでの“いい関係”とは、相手が言うことを“素直”に聞き入れる関係ではなく、“率直”に意見を言い合って一緒に考えられる関係のことだが。