まなび場ブログ

若い人たちとの対話

人は思い通りにならない

 「人間関係が思い通りにならない」という悩みを語る若者がいた。どのように思い通りにならないのか僕が聞こうとしかけた時、隣にいた別の若者が「え?それって、支配みたいに聞こえる。人のことを思い通りにするっていうのは」と言った。なるほど、確かにその通りだ。

 “人間関係”が思い通りになることと“人”が思い通りなることとは、同じではない。でも、人間関係が思い通りにならないという思いの中には、相手が思い通りにならないという気持ちも含まれているのではないだろうか。

 人間関係がうまくいかないとき、自分のあり方について考えることはできる。しかし、相手には自分とは異なる考えや感性があるので、相手がどうするかまでは僕たちにはどうにもできない。

 

 僕たちは、人を思い通りにしようと意識的に考えてはいないことが多い。けれど、人にイラっとするのはどんなときだろうか。それは、自分なら絶対にそんなことはしないのにと思っていることを相手がやったときだったりする。相手が自分と同じ考えに基づいて振る舞うことをどこかで期待していたわけだ。本当は、相手の考え方や感じ方はそもそも自分とは違うのだから、それに腹をたてても仕方がない。こういうことは、自分の考え方が相手には通用しないという体験の繰り返しを通じてだんだんと身にしみてくる。

 

 大人が子どもとかかわるときには、人は自分の思い通りにならないという感覚が薄れがちだ。子どもは大人より未熟な存在なので、どうすべきかは大人の方がよくわかっていると考えられているからだろう。確かに大人は子どもより多くのことを体験し考えてきているかもしれない。でも、何を大切と感じるか、どういう考え方をするか、といったことは、その人の個性に属することで、多くを考えた人の方が正しいということではない。

 

もちろん、大人の考えを子どもにきちんと伝えることは大切だ。僕たちは、子どもの頃、年上の人からいろんな刺激や影響を受けて育ってきた。こうやって言葉を使っていること自体、赤ちゃんの頃に親が話しかけてくれたことから始まっている。大人から言われて考えさせられたり気づいたりということも、誰しも体験してきたことだ。しかし、大人との対話を通じて子どもは自分自身の頭で考えるのであって、大人から言われた通りにするべきということではない。大人が子どもに働きかけることと、子どもを思い通りにしようとすることとを混同しないようにしたい。

 

 人は思い通りにはならない。人間関係も思い通りにはならない。自分は言いたいことは言えているか、自分は相手のことをちゃんと考えられているか、僕たちが考えるべきことは、そういうことだろう。

 自分の思いは率直に伝える。そして、相手との接点を探る。でも、自分と相手との違いをわきまえる。そんなふうにできればと思う。