まなび場ブログ

若い人たちとの対話

先延ばし

 小五のH君は宿題を先延ばしして、その時やりたいこと(友達と遊ぶ、YouTubeを見る、ゲームをする…)をやってしまう。結局、宿題をやらないままになり、先生に怒られる。H君はそのことをどう考えているのか、本人の発表を聞く機会(※)があった。「ママに、先のことを考えろとよくおこられる」が、「ぼくは先が見えている。なぜなら、山ほど時間があることを知っているから」「ぼくはやりたいことはすぐにしたい」「自分に×をつけない力があるから先のばしができる」とH君はいう。

 

 子どもに「問題」(大人から見て、ということだが)があると、「自分で、よく考えてみなさい」などと大人は諭す。子どもがしっかり考えて「問題」に気づき反省する(すなわち、大人の考え方に近づく)ことを、多くの大人は期待する。

 H君は、大人の考え方(先延ばしは良くない)を基準に自分を振り返るのではなく、自分の感性で自分を見つめている。そして、先延ばしするのは、自分にはもっとやりたいことがあるからだし、自分のことをOKと思っているから怒られてもめげないのだ、と考えたのだ。

 

 僕達大人は、先のことを考えて、そこから逆算して今やるべきことを決めることも多い。そうすることで、後で困らないようにしている。でも、こういう考え方は、“今”をどんどん味気ないものにしていく面もある。人の評価を気にして、自分が本当にやりたいことよりも、人からの評価が上がることをやってしまうこともある。

 H君は、人からどう思われるかに縛られず、今自分がやりたいことをやっている。彼が語る様子から、“今”を生き生きと生きていることが伝わってきた。 

 

 さて、僕はどんなときに先延ばししてきたろう。

 ずいぶん昔の話だが、高校三年生の夏休み、僕は受験勉強をするために毎日図書館に通っていた。でも、つい書棚の面白そうな本を開いて読み出すのだった。読書家だったわけではなく、受験勉強を先延ばししたかったのである。この時のことは、本をじっくり読むことができて良かったと思っている。

 教員をしていたとき、仕事への違和感が大きくなってから辞めるまでに何年もかかった。目の前の課題をこなすことで何かをやっている気になり、自分は本当はどうしたいのかを考え抜くことを先延ばしし続けていたといえる。辞めることを先延ばししたことで出会えた生徒達がいるから、単純に後悔はしていない。一方で、もっと早く一歩踏み出すべきだったとの思いもある。

 

 先延ばししても後で何とかなることもあるし、今向き合わなければダメなこともあるだろう。では、子どもが今向き合うべきことは何なのか。この点で、大人と子どもとは感覚が異なるかもしれない。最終的には子ども自身が決めることだが、まずは、大人と子ども、それぞれ自分が感じていることを見つめて相手に伝えてみると、互いに気づくことがあると思う。

 

 

第15回当事者研究全国交流集会 分科会『今なぜ「子ども」に当事者研究が必要なのか』