まなび場ブログ

若い人たちとの対話

「自分のホンネを自分で分かるか」

 どうすれば人とホンネで話せるか、高校生達と話し合ったことがある。

「ホンネを言えなくてストレスがたまる」「ホンネを言うと、かえって、相手からの反応でストレスがたまる」などという話が出ているとき、一人が「一番大きいのは、自分のホンネを自分で分かるかっていう問題」と言いだした。「例えば、どんなこと?」と聞くと、「自分が欲しいと思ってたけど、ただみんなが持ってるからそう思ってただけとか」と言う。

 

 そんなことに気づいているのはすごいな、と僕は思った。というのは、僕自身は高校生の頃、そういうことに鈍感だったからだ。当時の僕は自分がやりたいことを分かっているつもりだったし、自分の進路も自分で考えて選んだつもりだった。親が僕に期待していたことを自分自身の考えと思い込んでいた部分があったということは、随分後になってから、だんだんと気づいてきたことだ。

 

 若い人から「自分が何をやりたいか分からない」と言われることがある。それは考えるべき問題だ。ただ、こう言っている人は、少なくとも、“自分が何をやりたいか分からない”ことは分かっている。そして、自分が何をやりたいかを考えはじめている。一方、自分が何をやりたいか分かっていると思っている人は、どうだろうか。この中には、本当に自分のことを分かっている人だけでなく、みんながやっているから自分もやりたいと思っているだけの人、人が自分に期待することを自分がやりたいことと思い込んでいる人もいるのではないか。

 

 ホンネというのは、頭で考える以前に、自分のからだやこころが感じていることだろう。そして、教育では、ホンネは大切にされていないように見える。何をやりたいか・何をやりたくないかは大切にされず、自分の気持ちを抑えて頑張ったり我慢したりすることが一面的に追求されている。でも、人は、本当にやりたいことなら頑張れと言われなくても本気になれる。頑張れるようになりたいのであれば、まず自分が何をやりたいかに気づくこと大切だろう。また、やりたくなくても我慢すべきことはあるが、我慢が先行してやりたくないという自覚すら持てなくなってしまうと、どこかで無理が生じる。

 

 誰だって小さい時はホンネを言っていたのだろう。やりたいことをやりたいと言い、欲しいものを欲しいと言い、嫌なことは嫌だと言う。でも、“教育”の力によってだんだんそんなことは言わなくなってきただけでなく、自分でもホンネが分からなくなってきてはいないか。子どものホンネが社会に通用しないと大人が思うなら、タテマエで押さえ込むのではなくて、大人のホンネ(本当に思っていること)をきちんと伝えればよい。子ども同士もホンネでぶつかりあえばよい。ホンネをきちんと自覚した上で、それとどう折り合いをつけるかを考えていけばよいのだ。僕たち大人は、もっと自分自身の、そして若者のホンネと向きあうべきだろう。