まなび場ブログ

若い人たちとの対話

「怒っているときに叱るな」

 「親の機嫌が悪いと、余計に怒られる。理不尽だ」と言う人の話を聞いて、思い出したことがある。高校で教えていた頃、僕はある生徒をピリピリと怒った。すると、それを見ていた別の生徒が、すかさず「ユキさん、機嫌が悪いね!朝、夫婦喧嘩してきたんちゃうか?」などと言う。これが全くの図星だったので、僕も肩の力がぬけた。

 自分の気持ちが穏やかでないときは、必要以上に厳しくしてしまいがちで、的確に人を叱れる状態にはない。そして、大人が子どものことを見ている以上に、子どもは僕たち大人の状態をよく見ている。

 

 先輩教員から教わった言葉に「怒っているときに叱るな。叱っているときに怒るな」というのがある。

 機嫌が良くないときには、人を叱るべきじゃない。ここまでは、分かりやすい。本当に考えなくてはならないのは、まさに目の前の相手のことで腹が立ってしまったときだ。

 

 叱るのは、相手に良くなってほしいからで、相手のための行為である。怒るのは、自分のイライラを発散させるためという面があり、自分のためともいえる。だから、叱ることと怒ることとは、ごちゃ混ぜにしない方がよい。

 とはいえ、僕たちは感情を持つから、そう理屈通りにもいかない。教師は子どもと距離を取れる立場にあるからまだいい。距離の近い親子関係では、どうしても感情がついてまわる。僕自身、娘が思春期だった頃、「お父さんは、学校の生徒だったらこんなことで怒らないくせに、私に対してはなんで怒ってくるの!?」と反発されたことがある。

 

 そもそも、叱っている時に、感情を切り離せるものなのか。本当は怒りの感情があるのに、それにふたをして冷静に叱っているつもりでも、子どもには感情も伝わる。

 親との葛藤を抱えている人から「親が感情を出さずに正論をふりかざして責めてくるのが、一番やっかいだ」と聞かされたことがある。大人が感情をむき出しにすれば子どもも感情で反発しやすいが、大人が感情を隠していると子どもも感情を発散しにくい。感情を暴走させてはいけないが、感情を抑えればよいという単純な話でもなさそうだ。

 

 相手に負の感情が伝わりそうだと感じて、言うべきことを言えずにいたことも、僕にはある。でも、気になっているのに言えずにいると、モヤモヤした気持ちが溜まっていく。そしていよいよ言わざるをえなくなった時、相手を強く責める言い方になってしまうのだった。負の感情が多少伝わったとしても、最初にさらりと率直に言った方が良かった。

 逆に、本気で怒ってしまって、後から反省していたら、相手は意外にこちらの言葉をきちんと受け止めてくれていた、ということもある。こちらの言葉が受け止められたのは、そこに僕の本当の気持ちがこめられていたからだろう。

 

 だとしても、怒りを正当化せず、怒っている自分について振り返ってみることは必要だと思う。僕たち大人はどんなときに子どもに腹を立てるのだろうか。それは、できて当然だと思い込んでいることを相手がやれないときだったりする。今のこの人にとってこれは難しかったのだと了解できると、それほど腹は立たない。

 実際には、人のことはそんなに簡単に了解できない。少しでも了解できることを目指して、日々コミュニケーションを積み重ねるしかないのだろう。

 

 僕たち大人が思ったことは、子どもに率直に伝えるようにしたい。それは、叱るという形をとることもある。だとしても、叱ることは、子どもとのコミュニケーションの中のごく小さな部分に過ぎない。一緒の時間を過ごす、笑いあう、何気なく言葉をかわす、心を配る、といったコミュニケーションの土台がどれだけ築かれているかをぬきに、叱ることについてだけ考えても意味はないようにも思える。