まなび場ブログ

若い人たちとの対話

「分かって欲しい」

 分からないから、対話をする 

 

 登校できなくてしんどい思いをしていた中学生が、こんな話をしてくれた。「『元気そうだし、もっと頑張れるんじゃないの』と先生に言われる。私はニコニコしているから、そう思われる。出来ないっていうことを分かって欲しい」「風邪を引いて熱が出た時は、ああ、きょうは安心して休めると思った」。

 「目に見える不幸が(自分の周りに)起こればいいと思ってしまう。そんなふうに思う自分が嫌だけど」と語ってくれた人もいる。目に見える不幸であれば同情してもらえるが、自分の内面の苦しさは理解されない。それどころか、悩んで身動き取れずにいると、やるべきことをやらない人間として責められたりもする。

 世の中、頑張る人は賞賛される。頑張れない人は、自分はダメな人間と思われていると感じてしまう。そのことが、ますます元気と自信を失わせる。自分の状態に負い目を感じている人が「もっと褒めて欲しい」と言うことがある。自分の出来ない部分ばかりを見るのではなく、価値ある人間として自分を見て欲しいという思いではなかろうか。

 

 僕たちは、目に見える様子からその人の内面を判断しがちだ。本人の話を聞いて、ああ、そんなふうに思っていたのかと初めて気づかされる。だから、若い人には、人が察してくれるのを待っているのではなく、自分のことを言葉にして話す勇気を持って欲しい。

 誰でも、自分のことをどのような言葉で表していいかはっきり分かっているわけではない。簡単に言葉に出来ないからこそ、人と話してみることが大切になる。自分の内面がモヤモヤしている時、それを言葉にして人に話そうとすることで、自分自身にも自分のことが少しずつ見えてくる。人と話し合うことで、気持ちが切り替わることもある。

 

 「分かって欲しい」という気持ちは、人との本当の関わりを求める気持ちともいえる。その気持ちにそって動いていけば、人との関係、そして、自分自身を変えていくことができるのではないだろうか。