まなび場ブログ

若い人たちとの対話

自分を振り返るゆとり

 子どもは、どんなときに変化していくだろう。

 

 子どもたちが一緒に過ごす場では、時として、子ども同士のぶつかりあいが生じる。例えば、周りの人の目には“自己中心的”としか見えない態度を取る人がいると、周りはイライラし始める。こういう状況でみんながその人を批判しても、相手は聞く耳を持たない。自分を守ることで必死で、自分を振り返るゆとりがないのだ。

 

 批判している側に、「自分にもそんなときがあったな」とか「批判の仕方には問題はないのか」というような自分達を振り返る視点があるときや、「この人にも一理はあるか」とか「どこか憎めないな」といった肯定的な気持ちが働いているときには、空気が少し変わる。あるいは、子どもの中にはバランス感覚の良い人がいるもので、場が緊張したときに突然脱線してみんなを笑わせたりして、冷静さを取り戻させてくれることもある。こんなときには、批判されている人にも自分を振り返るゆとりが生じる。人の言動を率直に批判する人もいて、同時に、適度にユルい空気がある場で、子どもは自分を見つめ直していくことができる。

 

 大人と子どもとの関係にも、似たようなことがある。大人としては、子どもに改めて欲しいと思うこともある。それは、例えば、1日中スマホを見ているというようなことかもしれないし、まあ、子どもによっていろんなことがあるだろう。でも、子どもは、僕たち大人とは全く違ったことを感じているかもしれないので、大人の一方的な批判を受け止められないことも多い。かといって、大人に対抗できるだけの論理も持ち合わせていないから、本心は納得していないけれどその場だけ聞いたふりをしたり、そうでなければ、反発して全く聞かなかったりする。子どもはどうせ聞かないのだから言うだけ無駄という考え方もある。確かに子どもが自分で気づくしかないことはあるが、大人がちゃんと伝えなければ、子どもが自分自身を振り返る機会のひとつが奪われることもある。

 

 僕たち大人が、子どものあり方を問題と感じる視点だけでなく、そういう感じ方は本当に正しいのかと自分を疑う視点もが持てているとき、また、子どもの中に自分にはない面白さや個性のあり方を感じているときには、率直なことを言えるし、伝わるということも感じる。子どもに対する批判的な視点しか持てないときには、一方的な言い方になってしまったり、逆に、穏やかに話し合える自信が持てないから、思ったことを率直に言うことにためらいが生じたりする。

 

 子どもとシビアな話し合いになって、「僕の対応はあれで良かったのだろうか」「ちょっと言いすぎたかな」と後から気をもむようなときがある。でも、蓋を開けてみると、子どもはちゃんと自分自身を振り返っていて、ほっとさせられたりするのだ。話し合っていた時にはあんなに抵抗していたのに、何が変化をもたらしたのだろうか。もしかすると、僕が気をもんでいたことも影響したのかもしれない。いずれにせよ、率直に話し合ったことは良かったのだろう。