まなび場ブログ

若い人たちとの対話

「自分に厳しくあたっています」

 「自分に厳しいか」というお題で中学生達と話し合っていると、

「自分の行動には甘いです。努力したくありません!でも、心の中では、いつも自分に厳しくあたっています。心の中だけですけど」と冗談ぽく笑って言う人がいた。努力しないけど、そんな自分を責めている、でもやっぱり努力しない、どうしようもないですねえ、といった感じの話を僕も笑って聞いていた。でも、後で考えてみると、どうもこれは自分に甘い面と自分に厳しい面と両方あるというだけの話ではない。自分はダメだという思い込みが努力するエネルギーを奪っている、という話でもあるのではないか。

 

 自分に全く自信が持てず、身動きが取れなくなってしまっている若者と出会ったことがある。聞いてみると、子どもの頃から親に「こんなこともできないようでは、大人になって社会でやっていけない」と叱られ続けていたことが頭にこびりついていると言う。親は発奮させようとして言ったのかもしれないが、思うようにできるようにならなかった本人にとっては「こんなこともできない自分はやっていけない」という気持ちにさせる言葉でもあったのだ。実際には、できないことがあっても、他の面での持ち味をいかしたり、人と補い合ったり、まわりから助けてもらったりして、生きていくことはできる。むしろ、こんなこともできない自分はダメだという思いや、人から助けてもらうことを受け入れられない気持ちが、人を生きづらくする。この若者も、ホームレス支援活動に参加する中で、人とのつながりがあれば生きていける、と実感するようになっていった。

 

 学校では、「勉強は積み上げなので、今きちんと勉強しておかないと、この先の内容が理解できなくなる」などと言って子どもに勉強させようとすることがある。かくいう僕も、数学教師としてそんなことを言った覚えがある。それで頑張る人もいるし、頑張れない人もいる。頑張れなかった人の中には、積み上げることに失敗したように感じて、もう分からないとあきらめてしまう人達たちがいる(本当は、本人がやる気になったら、いつからだって取り返せるのだが)。そういう副作用について、僕も若い頃は十分には気づいていなかった。

 

 今のままではダメだから、この先困るから、と不安を煽(あお)って追い立てる必要があるのだろうか。ものごとに取り組む前向きの理由はいくらでもあるのだ。面白そうだから、できるようになると嬉しいから、自分の世界が広がるから、価値や意味を感じるから、誰かのためになるから、…。ただ、こういう感覚は、まず僕たち大人自身がどの程度実感しているかが問われるし、大きな労力をかけなければ子どもに伝わらない。大人は、自分が追い立てられてゆとりがないと、子どもを追い立てる方向に流されやすい。

 

 努力したくないという人は、今の自分はダメという気持ちが弱いのではなく、むしろ強すぎるのかもしれない。自分がダメだという気持ちが、あきらめを生んでいるようにも見えるのだ。できなくても大丈夫やっていける、でも、何かに取り組めば自分の世界がもっと開かれていく。そういう感覚を持てるといいし、この感覚はいろんな人と関わる中で育っていくものだと思う。