まなび場ブログ

若い人たちとの対話

「興味が持てない」

「学校の勉強には興味が持てない」という声をよく聞く。

 勉強なんてそんなものだ、興味に関係なく頑張らねばならないのだ、と思う人もいる。一方、教師に聞けば、興味は大切だと言うだろう。でも、学校で興味は本当に大切にされているだろうか。

 

 僕が学校で数学を教えていたときを振り返ってみる。新しい内容に入る前には、これから学ぶ内容に興味を持てるように、具体的で身近な問題を取り上げる。でも、内容の学習に入ってしまえば、生徒の興味を育てることより、問題が解けるようになることの方に意識が傾いていく。

 興味を育てるということは、自分自身の頭で問題を掘り下げていきたいという気持ちを支え育てることだろう。そのためには、本人が考えたいと思うことに大人がつきあうことが求められる。今の学校では、これはなかなか難しい。決められた内容を決められたペースで教えることが優先されがちなのだ。

 興味が大切というとき、それは決められた勉強をさせるため(もっとハッキリ言うと、テストの点を上げるため)の動機付けとして大切という意味なのか、何かに興味を持つこと自体に(目の前のテストの点は上がらなくても)価値があるという意味なのか、問うてみることが必要だろう。

 

 僕は子どもに対して、ものごとに興味を持って欲しいと思っている。興味の対象は、学校の勉強でなくてもよい。ものごとに興味を持つことは、今、気持ちが生き生きとすることであるし、自分の世界を広げていくことでもある。興味を持つこと自体に価値があるのだ。

 もちろん、興味を持つことと学ぶことは表裏一体、同時進行していくものでもある。漢字や英単語の暗記のような単純な勉強ですら、興味を全く持てない人が機械的に書く作業を繰り返しても、あまり頭に入らない。ましてや、数学や科学のように論理を積み上げていく学習では、その過程に興味を持てなければ、学ぶことは困難だろう。なんらかの興味があるから、考える。興味が全くないことを本気で考えることなんてことは無理ではないか。

 

 すでに持っている興味を深く掘り下げていくだけでなく、視野を狭くしないことも大切だ。高校時代に先生から「専門書が並んでいる大きな書店に行っていますか?書棚を見回すだけで、自分が知らないことがこんなにあるんだって気づかされます」と言われたことを今でも思い出す。多様な人間と出会える場に身をおくことも、自分が知らない世界に触れるきっかけになる。

 何かに深い興味を持っている人と関わると、その人の影響で同じ対象に興味が生じることもあるし、ものごとに興味を持つという態度自体から刺激を受けることもある。興味というのは、人から人へ伝染していくようなところがあるのだ。そのような人と人との関わりを大事にしたいと思う。